KEMURI tour "Typhoon"
伊藤ふみお ”巡業日記”
『俺達は鹿児島へやって来たぞい!
鹿児島へ来る度、思えば遠くへ来たもんだぁ…と、
うたいたくなる俺。昨日は博多の街で
昔からの友人達と朝まで呑んでしまい、
移動の車中では記憶をなくすほど深い眠りに落ちておりました。
眠りから醒め、溜まった洗濯物の入った巨大なビニール袋を
サンタクロースのようにその肩にしょった
ヒラヤショウジとランドリーへ直行。
いつもならビールでも呑んで、ダラッと小一時間過ごすのですが、
本日はビールを身体が受け付けず、
そのかわりに鹿児島ラーメンを食しました。
長寿ラーメンという名の、ラードの変わりに紅花油を使用し、
チャーシューの変わりに煮込んだ椎茸の入ったラーメンを、
アルコールを浄化するために
水分を使い切って小さく干涸らびた胃袋に流し込み、
店内の誰よりも発汗して750円なり。
お店ではおばさんが、剥いた大根の皮を綺麗に洗って小さく切り、
ゴマと鰹節と醤油と混ぜた浅漬けのようなモノを
無料サービス品として各テーブルに配っていました。
少し食べましたが、とても美味でした。
野菜は捨てるところが殆どないのだなぁ。
今夜はRancidの新しいアルバムを聴いてゆっくりします。
そういえば、単身、LAに乗り込んだとき、
車内で最初にかかったのが『Time Bomb』だったな。
Timは俺の胸を突く大好きなソングライターの一人だなぁ。
明日も、さて、一歩踏み出して、やってやるぞい!
ジットリトして青みがかった夜の鹿児島にて pma。』
9月13日(土)移動日 松山〜京都
『松山から京都への移動の車内は爆睡の嵐が吹き荒れておりました。
宮古島を直撃した秋の嵐程度のものと
想っていただいて差し支えありません。
しかし、美しすぎるほど晴れ渡った
素晴らしい今日という日の昼過ぎという最高の時間に、
車窓の外に広がる景色に胸打たれることもなく皆が爆睡していたのか?
とにかくツアーの疲労がここにきて
ガツンと身体の中枢を襲っていたことは確かで、
皆、酷く疲れておりました。
特に私はさほど飲めもしない酒を、
しかもいも焼酎のお湯割りなんぞを美味しくいただいたがために、
筋肉、内臓、頭脳、それぞれが物凄い勢いで
機能停止を決め込んでおりました。
給油ついでによったサービスエリアで食した
「たらいうどん」
(アツアツの湯がはってあるたらいの中で泳ぐおうどんを
油揚げと煮椎茸の細切りが入った冷たい出汁でいただく)
350円也を受け入れるのが精一杯でした。
ホテルについたものの、靴を履いたまま約2時間ほどうたた寝し、
ぐーっと情けなく鳴り響く腹の音で
目が覚めて食を求めて夜の街へ。
音響の篠塚氏と、ドラムのショウジと入った店が
大当たりの和食屋さんで、
サンマの刺身、湯葉とさといもの煮物、おでん等といただきました。
盛りつけ方も美しく、新鮮でアツアツの料理での楽しい食事となりました。
弱った胃腸も回復の兆しを見せ始め、
調子にのりそうな気持ちを抑えて、
生ビールを一杯呑むだけで終了。
東京は色々な土地の美味しいものが食べられる街ではありますが、
やはりその土地で食べる地料理は
心と身体に感動を与えてくれます。
これも旅の醍醐味の一つであると実感。
良い感じで新鮮な気持ちになれました。
板長、ありがとう。
さて、明日もアツアツのライブをやりましょう。
アツアツが良い。』
9月16日(火)移動日 金沢〜長野
『昨晩、金沢エイトホールにご来場いただいた皆さん、
本当にありがとうございました。
しかし熱かったですね。空気の循環が追いつかない、
熱気に満ち溢れすぎたライブ会場は、
その場にいる全員の肉体と精神に
良い影響を及ぼさないということを改めて確認いたしました。
バンド、観客、スタッフ、全ての人間が一晩限りのロック演奏会を
最高のモノにしようと最善を尽くした結果が
あの灼熱の会場となりました。
息を吸うのも一苦労という環境にて
約80分間のライブをやりきれたということは
大きな自信になりましたし、
観客の皆さんにしても、少々の肉体的苦痛には
ひるまない強靱な精神と肉体へと一歩近づいた夜となったと思います。
最高でしたね。
昨晩、バンドメンバーで一人だけ
ジーンズを着用して演奏している人間がおりましたが、
私が彼と同じ服を着てライブをしていたら、
確実に死んでいるか、もしくは致命傷に近い何かの損傷を
肉体と精神に受けていたと思われます。
想像しただけで寒気がします。
短パン万歳!
ライブ終了後、ライブ会場の環境について色々と考えました。
誰にとっても快適である場を創ろうなどとは思いませんが、
せめて、ライブ会場へあしを運んだことが
良い思い出となるような環境を
創っていきたいと思います。
9月17日(水)長野クラブジャンクボックス
『ツアー先でのお買い物はとても楽しい。
お気軽気分転換買い物ツアーです。
わたくしは古着屋が大好きでして、
買い物の場所として目指すのは主に古着屋になるわけです。
古着といっても中世ヨーロッパ、和服等、色々ありますが、
アメリカ古着しか興味ありません。
ベルバラ系のヒラヒラものなどは論外。
反米テロリストに狙われるかどうか、
あくまでもギリギリのUSA物が大好きです。
80年代が青春真っ直中であり、
しかも丁度アメリカ留学中だったため、
忌まわしい80‘sアメリカンスタイルが
骨の髄まで染み込んでいますが、
基本的には「ジーンズに白いTシャツ、足下はスニーカー」
という黄金律を胸に秘めているタイプの人間です。
ビンテージものに対する興味は色褪せましたが、
37才には37才なりの古着美学がありまして、
時間と気力の許す限り、いまだに地方では古着屋さんを巡ります。
どちらかというと「お買い物はお一人で!」派であります。
9月18日 安息日
昨晩、長野でのライブ終了後に東京へとひた走りました。
午前3時到着。
運転してくれた桑原君、篠塚氏に感謝いたします。
ライブ後で気が立っていて眠気を寄せ付けない。
そのまま天井を睨んでいると、
何故だろう、ピカソの「ゲルニカ」をふと思い出し、
しばし、黙して考える。
ピカソのまるで写真のようなデッサンをふと思い出す。
ピカソが陶器に描いていた闘牛を思い出す。
岡本太郎がグラスの底に描いた顔や、
若き岡本が残したデッサンを思い出す。
デッサンは重要だ。うん、うん。
新聞配達の駆るスーパーカブの排気音が木霊する暗闇で考える。
数週間ぶりに眠りについた家の布団の匂いの中で考える。
何故か、ダイエットコカ・コーラを2缶飲んだ
キャフェイン摂取過多な日に考える。
考えていたらいつの間にか熟睡…。
zzz…、と、熟睡。
9月19日 安息日
今朝は予想通りに呪われた朝となりました。9月20日 川崎クラブチッタ
本日、朝からアーモンドグリコを二粒、
田原俊彦なみの爽やかさでたいらげたにも関わらず、
思考停止状態が続いておりました。
とにかく、頭脳が活発に機能している感じがしません。
そんな状態で取捨選択という重要な行動が的確に行えるわけがない。
「さて、今日は何を着てライブをするか?」
という課題を前に約10分間、
ぼーっとして何も出来ない自分と迫り来る集合時間。
人間は如何なる状況下においても焦るもの。
焦燥感が自分を襲っていました。
白いTシャツか、黒いTシャツか?さぁどっち?
みのもんたに圧力をかけられているかの気分になってまいりました。
The Toasters、
Skankin’ Pickle,
Stiff Little Fingersなど、
もう何枚もTシャツを手にして会場へ爆走しようとしても、
なんとレイニーサタデー、一体何処へ行くというのか皆さん?
と、いうくらい渋滞中。
いやいや、渋滞なんてもんじゃない環状7号線を川崎へと牛歩。
Kemuriでは何よりもタブーとされております「遅刻」をし、
会場に到着した時点で今日という日を
心の底から満喫した気分に浸っておりました。
サウンドチェック、その他を無事に終了させ本日の対バン、
カイザー・ソゼとコケティッシュのライブにしばし見入りました。
この日のライブは「Ska/punk」とうお題目で
皆さんに楽しんでいただこうと思っていたのですが、
観客の皆さん、心の中で暴れる、
というライブの楽しみかたを選んでくれたようす。
曲が終わるたびに暖かい拍手が響いていました。
この2バンドのライブは良かった。
個人的には相当ツボなこの2バンド。
彼等なりの音楽活動の仕方を貫こうとしている感じ、
楽曲の感じ、服のスタイル、
その全てにおいて尊敬出来る感じでありました。
これからも応援を宜しくお願いいたします。
さて、本日のライブは何故か緊張気味で始まりましたが、
我々を迎えてくれる観客の皆の温かい声援が、
ピリピリと張りつめた精神を良い感じに緩和させてくれました。
ご来場の皆様、いつも本当にどうもありがとう。
良いライブが出来たと思います。
途中、「リュウスケー!」という声援を
送ってくれていた方がいらっしゃいましたが、
個人的に漫才ブーム時にツナギを着てヤンキー漫才をしていた
島田紳介の相方「松本竜介」を思い出しました。
ほろ苦い想い出でした。
二階席にはすっかり大人になった親戚の子が
彼氏と一緒にライブに遊びに来てくれていました。
ライブ終了後、エビスビールを一缶流し込み、
街灯を映し出しキラキラ光る多摩川を通ってそのまま帰宅。
猫が「ミャー」と啼いてお出迎え。
さて、この先どんな景色が見えるのか?
どんな景色を見ようとするのか?pma
2003年10月27日
巡業日記を中断してから一ヶ月以上が過ぎました。
物凄い速度で過ぎ去ったような、
物凄くゆっくり過ぎ去ったような、
不思議ですが、とにかく物凄い一ヶ月でありました。
まず、9月21日、東北自動車道路にて起こった交通事故で
森村亮介が死亡、平谷庄至が全治5ヶ月の重傷を負いました。
かけがいのない仲間達を襲った突然の事故。
それらに対処している自分は怖いくらいに冷静で、
やらなければならないと思われる仕事を
淡々とこなしておりました。
医師、看護婦、警察官、ご親族、友人達、関係者の皆さん、
大勢の方の膨大な量の暖かな思いに感謝しつつ、
励まされつつ、自分の仕事は何だろうかと
自問自答しながら淡々と仕事をこなしていました。
見上げれば「天高く馬肥ゆる秋」という詩そのままの
蒼く澄み渡った空が大きく広がり、
若き友の存在以外は、自分も含めて全て今までと同じように
慌ただしく時を刻み続けているように思えましたし、
久しぶりに会う子供の成長に思わず微笑みもしました。
しかし、ふと気がつくと世の無常を感じ、
非常に苛立っている自分がいました。
車移動でのツアーに必ずついて廻る交通事故という危険。
運転すればするほど高くなる事故の起こる確率。
運転手が幾ら運転上手であり、安全運転を心がけたとしても、
自動車を運転するという行為の裏に潜む
危険性が無くなる訳ではありません。
音楽活動について廻るツアーを
どういう形で行うのが良いのか、
鏡に映し出された喪服に身を包んだ自分に
「どうするよ?」と尋ねても、
答えが出るはずもありません。
濡れた手を拭くのが精一杯。
お香の匂いが漂う廊下を
大勢の人達でごった返す式場へと歩いていきました。
「時間を戻すことは出来ない。時間を制御することも出来ない。
与えられた時間の中で、どれだけ爆発し続けられるかしかない。
良く見て、良く聞いて、良く感じて、良い燃え方をするしかない。」
そんな言葉を、森村亮介や平谷庄至の事を思うのと同じくらい、
繰り返し自分に叩き付けていました。
不思議な事に、彼等を哀れむ事はありませんでした。
と、いうか、哀れむ事が出来ませんでした。
非常に冷たい人間に思われるかも知れませんが、
自分の脳裏には、音楽と真剣に向き合い、
日々、切磋琢磨していた両名が確実に焼き付いていたので
「俺が彼奴らを哀れんだり、気の毒に思ったりしたら、
あいつらの立つ瀬がない」と、思っていたくらいでした。
再現出来ないのは
森村亮介がトランペットを吹くKEMURIというバンドであり、
それを思うととても残念でなりませんが、
現実を受け入れることでしか前には進めないとも思っています。
ふと気を抜くと覆い被さってくる
捉えようのない不安と悲しみとの戦いは
今も続いていますが、
それは生きていく上で誰もが対峙しなくてはならないものであります。
自分を取り巻く環境に変化はありましたが、
自分は健康な体に健康な精神
(少なくとも自分はそう思っている…)を授かり、
日々、生きています。
森村亮介も、
自分の脳裏から消え去ることは無いという観点からいえば、
生き続けております。
平谷庄至も怪我と懸命に戦っています。
思い出以外は全て動き続けています。
自分は生きている間に出来る事をやり尽くす生き方をします。